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樋口聡 (ひぐち・さとし)

「よくわからない」アートの豊かさについて 

Talk #6

作家•教員

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日々の生活で使われている「あるもの」が、

 

樋口さんの手にかかると「あれ、こんなものだったっけ?」と首を傾げてしまうような作品に。

 

「普段忙しいからと意識しないようにしていることを、日常にあるものとしてみせるのがアートなんです」

 

幼い頃から「解決できないこと」に興味を抱き、大阪芸術大学の油絵学科を卒業して香川県の高 松工芸高等学校の先生になってからも制作を続けている樋口さんに、 今回の企画についてや「よくわからない」アートの豊かさについてインタビューしました。

 >樋口聡 さんのプロフィール

日本の世界観をグローバルに対してどう見せるか、表現していくか

ー樋口さんは香川県高松工芸高等学校の先生として勤務しながら、現代アート活動も行 なっています。2022年には同じ高校の恩師の平野さんと現代アート作家の2人展「これから起きること」を香川県高松市花園町のKinco.hostel+cafeで開催しました。 私は展覧会には行けていないのですが、デザイナーの友人がたまたま仕事で高松に行く機会があり、樋口さんの展示会のことを伝えたところ、行ってきてくれました。会場にはベッドに横たわる人の立体造形や、うつろな表情をした顔の絵、人の生涯を示唆する ような映像が混在し、コロナ禍と暑さも相まって、「メメントモリ」を身体感覚で強く意識した。と話していました。幼少期から「生と死」について頭の中に渦巻いていたと以前お聞きしたと思うのですが、どのよ うな経緯からアーティストになろうと決められたのでしょうか。

そうですね。たぶん、なにかを作ったり描いたりするっていうことは、ほんとに幼少期からやって いたことなので、そこには「なにをつくりたいのか」のような動機は特になかったと思います。

 

一方で、「生と死」とか、社会の中で答えがなかったり、自分にとって結論が出ないことなんかで 悩んだりするときに、自然と自分の考えをまとめるために手を動かすことで自分の気持ちを整理 するというように変化していったのかな、と最近考えがまとまってきました。自然とアートという活 動にスライドしていった、という感じです。

 

成長するにつれて、生と死など自分の周りで答えがない気づきが増えていく時に手を動かすことで自分の気持ちを整理するようになっていきました。

ー それは、小説や詩を書くこと、曲を作ったりすることにはならなかったのですね。

そうですね。自分の中で答えが出ないことなんかに対して、本当の意味で答えを見つけるのは無理なので、現実逃避のように絵を描き上げたり立体作品を作ったり擬似的な達成感を得ることで次に進む手段としていたと思います。

 

なので、今後はわからないですけど、自分の中ではまだ、文章とか音楽は鑑賞する、受け止める存在です。

ショッピングも作品もどちらも楽しめるように

ー 今回の企画は、去年「おいでまい祝祭2022」(※瀬戸内国際芸術祭周遊事業)でお世話になった丸亀町グリーンの方からお声がけいただいたことと、その前から九州や韓国でのアートフェア出店の話などが出ていて、タイミングがちょうどあったということで、アートフェアへ出展する前哨戦のような企画です。

ですので、6名の方々のグループ展というよりは、個々の作家性を丁寧に打ち出すこと、お客さまも今後コレクターになってくれる方に力点を置いた、美術作家のファンを獲得してゆくのが目的の一つであるわけです。

場所も、商業施設という、作品を展示するために設計されている美術館やギャラリーとは異なった空間ですが、どのような思い・考え、また期待などがありますか。

普段からお世話になっている丸亀町グリーンという場所は、ファッションやカルチャーで賑わっ ているスポットですので、自分が考えていることや気になっていることは大切にしなくてはいけないですが、その場所で展示を観に来る人が受け止めやすい、気に止めてくれる形で作品をみていただければと思いました。

 

できるだけ色をたくさん使ったり、馴染みのある素材を中心に制作を進めていこうという気持ちが最初にありました。

 

作っていく中で、どうしても「生死」のテーマが芽生えてきたりするんですけど、作品を初めて目にする人が面白そうとか、可愛いと思ってもらえることで、他のお店へのショッピングにもつながるような作品にしていきたい。

 

真っ白なギャラリーではなく、あくまでお買い物を楽しむ空間での展示ですので、観に来る人たちの気持ちを大切にしたいと思います。

ー もう少し詳しくお話しを聞かせてください。

例えば、映画や美術館に行った後、鑑賞対象にどっぷり浸かると余韻が抜けないことがあると思うんです。

カフェで少し気持ちを整理をするなどしないと、別の見方・意識に切り替えられないと思う。そうなると、もし仮に私の作品を見て感動してもらえたとしても、お目当てのショッピングに手がつかないとか、そこまでいけば作家冥利に尽きるんですけど、あくまで作品を見にくるんではなくて、お 買い物を楽しんでいる時に作品に出くわすというのが今回の場所の導線だったりするので、そこまで考えた時に、できたら館内で取り扱っているファッションやカルチャー含めた切り口が、受け 止めてもらいやすいと思いました。

 

ですので、今回は布地のキルティングを使って作品を作ろうと考えました。

 

丸亀町グリーンという場所を楽しむ、という大前提を大切にしたいのです。

なにかになりそうだけど、なににもならない存在のおかしさ

ー 今回展示する作品についてお聞かせください。

今回のコンセプトは普段よく目にしているだろう廃材、建材、丈夫で堅牢でなければならないコンクリートや木材をふにゃふにゃのキルティングで製作します。普段だったら目にすることのない質感ということで、そのギャップのかわいらしさを観てもらいたいと考えました。

 

キルティングはバッグや服などの小さな面になってることが多いですよね。でも規則正しい縫い目や凹凸がついてて、素材の手触りなども含めてキルティングそれ自体が結構かわいいなと思って。

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〈Tsukaishi (Light blue) 2023年〉  

これは建物の基礎の部分なんですけど、基礎というのは建物を組むときに土台となる部分、コンクリートでできているんですけど、目に見えない部分ですね、それをふわふわしたキルティングで再現したものです。

 

下はファスナーで、機能性はあえて持たせてないんですけど、服や鞄などのようなイメージを持たせるように使っています。

ー このまま商品になりそうなかわいらしさですね。

だからといってこのまま使えないという意味のなさも含めていて。なにかになりそうだけれどなににもならない存在のおかしさも作品に込めています。

 

こっちの柱には、柱同士を繋ぐほぞの部分には穴を開けています。この作品にもファスナーがあるんです。

 

柱の中に綿を詰めずに、中を空っぽであると提示したくなるのも今までの死生観を表現しています。物も人も最終的にあらゆる意味で死んでしまうといった空虚感などを、かわいらしさの中に込めています。

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〈Hashira (Hozo)2023年〉

ー 作品のアイデアはどのように見つけているんですか?

最近は身のまわりの出来事や環境をなるべくフラットな状態で受け取って、それをストックして 活用できていると思う。今回建材、廃材に興味を持ったのも、最近引っ越しをしたことやリフォームに立ち会った経験から。

 

建物や車とか使用者の目線では出来上がったものしか見ないけど、車の工場やリフォーム現 場に行くと「こんなに簡素なんだ」「こんなにごちゃごちゃしているんだ」という些細な気づきがアイデアの種となって、丸亀町グリーンの場所が展示会場に決まったことで具体的な形になっていきました。

 

リフォームの現場にいると、解体された剥き出しの躯体を目の当たりにして、すごく驚いたんです。「こんな作りになっていたのか!」って。そういうものを目にした時に感じた、内と外のギャップに魅力を感じました。

 

それから家に念願のミシンが手に入ったので、規模の大きな裁縫仕事がしやすくなったことも制作のきっかけの一つです。なにより、「人が集まる商業施設での展示」が決まった時にキルティングで作ろうと方針が固まりました。

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〈念願のミシン〉

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〈制作過程〉

大学時代に得意じゃない油絵を選んだ理由

ー 樋口さんは大阪の芸術大学で油絵を専攻していましたが、立体の作風が多いと感じています。油絵から立体に表現が変化する過程で影響を受けたアーティストや作品があるのでしょうか。

実は、そこがちょっとややこしくて(笑)。私自身はもともと立体が好きなんです。

 

ずっと立体制作を続けていたんですけど、大学で教員免許を取ろうと考えた時に、得意じゃない油絵をあえて専攻したんです。それは、教員になったあと、生徒に幅広く自信を持って教えられるよう考えてのことでした。

 

なので、大学の時だけ油画を専攻していたという(笑)。

 

はじめはアーティストに専念したいな、と思って就職して夜間や休日に制作をしていたりしたん ですけど、地元で瀬戸芸(瀬戸内国際芸術祭。対象地区が岡山・香川の両県に跨る、一大イベント。トリエンナーレ形式で、第1回の2010年から3年ごとに開催されている)が始まって、実際に見に行った時に「地元ってこんなに色々面白い場所あったっけ」と発見することも多く、当たり前に思っていた存在が全く知らないものに見えてきて、そこで色々考えてしまって。教員になろうと思ったのも、次の世代のこと、地元香川のことに興味を持ち初めたのがきっかけです。母校(高松工芸高等学校)の恩師の影響も大きいですし、同じように作品を作り続ける人や理解が深まると私のためにもなりますし。

「アートが好きな人のためのアート」であってはいけない

ー 次の世代についてのお話が出てきましたが、アートが抱える課題についてどう考えていますか?

例えば中学校や高等学校では、社会に出るまでに学んでほしい、さまざまな事柄を体系的に国語、英語、体育、美術など分野ごとにして学ぶ機会を設けています。しかし、授業を受ける生徒にとっては科目ごとに線引きして考えてしまうんですね。どうしてもそこでは「よくわからない」美術は必要ない、とか「数学は大人になったら使わない」など誤解されがちなんです。でも、自分はそういったものもひっくるめて生活であると考えています。

 

社会や生活の一部を誇張したりそぎ落としたりして提示したものがアートで、そこには普段触れられないような、見落としてしまいがちな物事に疑問を呈しているだけなんですね。

 

それがいつの間にか「アートが好きな人のためのアート」のようになっていると最近は感じてい ます。もともと「芸術に造詣の深い者や評論家たちによる高尚な」アートというのは日本でもずっとあるわけですけど、現代アートに対してもそういう風潮は年々増してきているように感じます。

 

私たちのようなアートにどっぷり浸かりたい人たちが集まって展示を行ったり、コレクションした り、評価されたりしている。でも、アートに興味のない人にも常に繋がり続けようとする姿勢でいな いと、どんどん孤立していくじゃないですか。そうなると「アートが必要か」のような議論になってしまう。いるいらないではなくて、自分にはなかった視点に気づく機会になってほしい。正しい、間 違ってる以外の多面的な触れ方があるのがアートかな、と。

 

生徒たちとの関わりの中でもそれは日々話していることです。人が生きていく上で社会と関わり、視野を広げるための一つにアートもあって、それは私たちの 生活と切り離されるものではないんです。

 

なので、アートそのものが研ぎ澄まされて単純化されると生活から切り離されて見られるのは一 番まずいなと思います。

 

今回の展示では作品と、大量生産可能なアートグッズだけだと作品そのもののつながりが薄くなってしまうので、作品のカケラを持ち帰ることができるようなものも制作しています。

「よくわからない」を楽しみに

ー 今後の活動や今回の展示に興味をお持ちの方へ

今回もそうですが、普段自分の展示だとこのような特殊な場所での展示のお声がかかることはないんです。自分の手が出る場所しか選択肢がないので。ですからギャラリーではないところで 展示機会がある、ということと、その場所との化学反応で思いもよらない作品が出来上がる喜びがあります。

 

また、実現しにくい環境の方がアートに興味のない人たちと関わるチャンスが増える。単純に作家樋口を気に入ってもらえる機会があるのはありがたいことです。「よくわからない」アートそのものを楽しんでくれるといいですね。

 

今後の活動については、昨年5月頃からあたためている構想があるので、場所があれば展示したいなと思っています。もし「この空間使っていいよ」などあればぜひお声がけいただけると嬉しいです。

ー 構想がまた思いもよらない空間でかたちになるといいですね。想像するだけでワクワクします。本日は楽しいお話をありがとうございました。

樋口聡さんのプロフィール

1989 香川県小豆島生まれ

2017 大阪芸術大学油画専攻卒業

2023 現在、香川県立高松工芸高等学校美術科で教諭として勤務

 

〈個展〉

2020 「(or not)」minamo (香川)

2020 「砂埃あげてRush while raising dust」高松市美術館(香川)

2019 「PLAY LIVE,PRAY LIFE」仏生山古民家(香川)

 

〈グループ展〉

2022 「これから起きること」Kinco. hostel+cafe(香川)

2021 「a→g art to garden」善通寺五岳の里(香川)

2021 「高松工芸高等学校美術科教員作品展 キジバトの巣」Share gallery 206(香川)

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